いつも記事を読んで下さり、ありがとうございます。
熊本へ入る前に、向こうの状況を知るため、調べてみました。
とにかく現地では自分のことは自分でできないと、かえって迷惑になるので、本末転倒にならないよう準備が必要です。
移動手段、食事、宿泊、ボランティア募集状況を調べてみたところ、
移動 → 飛行機(名古屋から熊本まで)→ レンタカー(熊本市内移動)
食事 → カロリーメイトやこんにゃくゼリーといった非常食
宿泊 → 車中泊
ボランティア募集状況 → 熊本市が常時募集
だいたい上記のことでいけそうです。
飛行機で行くのは、できるだけボランティア活動の時間がとれるように考え、移動時間を短縮するためです。
まず行って驚いたのは、熊本空港が普通に運行していること、そして旅行者の方もおみえになったことです。
「ホンマに地震なんてあったん?」
と思わせるくらいです。
でも、よくよく見ると、空港の水は汚染されている旨の張り紙があったり、壁のところどころにヒビが入っていたりと、地震の爪痕を感じました。
空港から出て数分のところからレンタカーを借り、諸注意を受けてから熊本市へ向かいます。
熊本空港を出てからも、しばらくは地震を感じさせない風景が続きます。
30分ほど走らせた頃から風景が変わり、熊本市の街の様子が段々とわかってきました。
驚いたことに、熊本市は車や人であふれ、店はほとんどが営業しています。
コンビニに入ると品不足を予想していたのですが、品数豊富で、お弁当屋さんでも待つこと無く、お弁当を購入することができました。
くどいようですが、
「ホンマに地震なんてあったん??」
と感じるばかりです。
そうこうしているうちに、熊本県社会福祉協議会 ボランティアセンター(通称、ボラセン)へ到着しました。
1,000円ほどで、ボランティア保険に加入し、いざボランティアへ!と思っていたら意外な展開となりました。
なんと、ボランティアの募集は打ち切ったとのこと。
「な、なんで・・・」
よくよく聞いてみると、毎日ボランティアを募集しているんだけれど、朝8時〜9時までの1時間受け付けをしていて、そこで応募できなければ受け付けてくれないようです。
そんなこともあろうかと、前もってボラセンへ確認をしていたのですが、問い合わせた頃とは勝手が違うのか、はたまた情報の行き違いなのか分かりませんが、いずれにしても1日を棒にふることになる気配がしてきました。
「そんなアホな・・・」
これじゃあ意味が無い。
ボラセンの方に聞くと、各市町村に直接電話をしてくださいと言われたので、何とかあっちこっちに連絡をしますが、県外お断りだったり、電話が不通だったりと、なかなか思うようにボランティア活動への足がかりがつかめません。
「え?!このまま熊本観光?!」
「そんなわけにいかない!!絶対に何とかする!!」
「よし!もう一度いちからウェブを使って調べてみよう!」
と考えを新たにして調べ始めたところ、
「熊本支援チーム」
を見つけました。
僕達が3日間お世話になることになった、民間のボランティア団体です。
熊本支援チームは、同じくボランティア団体の、
「め組ジャパン」
のサポートを受け、連携して東日本大震災や、今回の熊本地震の被災者に対して、ボランティア活動を行なっています。
熊本支援チームに問い合わせすると、朝8時〜夜8時まで受付窓口を設置されており、来ていただければすぐに、やっていただける仕事があります。とのことだったので、迷わず現地へ向かいました。
現地につくとそこは、熊本崇城大学内にある広大な敷地を借りて、「ボランティアビレッジ」というベースキャンプが作られていました。
中ほどに行くと仮説住宅が幾つか並んでおり、そこに本部事務所があります。
簡単な受付登録を済ませ、僕達が依頼された仕事は、「電話係」です。
電話係の仕事内容は、2つあります。
1つは、支援を必要としている方からの電話を受けて、必要物資や届け先住所等情報を聞き出すことです。
そしてもう1つの仕事は、介護施設や病院といった施設に連絡をし、その施設に携わる方々が困っている人が居ないか、どんな支援を欲しているのかの聞き出しをすることです。
電話をうけることよりも、かけることのほうが多く、意外に支援を欲している方にあたりません。
「割りと支援が行き届いているのかなぁ・・・」
と思っていましたが、その内数件に渡って、支援の要請を求める人の声にあたりました。
2時間ほど電話係をやった後、炊き出しの仕事を仰せつかりました。
車で1時間ほど離れた場所に、某センター避難所へ向かいます。
ここには200名の避難者がおられ、ここの方々に「玉子どんぶり」を作ります。
200名分の炊き出しと簡単に聞こえるでしょうが、とんでもない量をわずかな時間で作り、配らなければなりません。
そして、普段からあまり美味しい食事に触れること無く、相当なストレスを感じ生活している方々に、おもてなしの心も忘れてはなりません。
とにかく一生懸命、玉子どんぶりを作り、お配りしました!
自分でも何杯お配りしたのか分からないくらい、夢中で玉子どんぶりをよそいました。
結果とても喜んでくださって、本当に嬉しかったです!
ここでは様々なご縁をいただきましたが、特に印象に深いのが、「やんじー」なる通称を持たれる御年70歳の方が率いる、「チームやんじー」の皆さんです。
ボランティア歴40年と語るその方は、ボランティアのベテランで、北海道では知らない人は居ないと言われるぐらいの人だそうです。
「え?!北海道??」
「北海道から来られているんですか??」
そうなんです!
10名位のチームで炊き出しの道具や食材を持って、北海道からボランティアへ来られているんです。
熊本地震が起きて間もなく、チームを編成し、フェリーと陸路で3日間かけて到着し、炊き出し専門でボランティアを、なんと、3か月間滞在することを決めて、毎日朝晩、熊本県のどこかで炊き出しをされています。
この方が「やんじー」。
とても70歳とは思えないぐらい、アクティブに誰よりも動き、炊き出しの司令塔を務められます。さすが40年の大ベテラン!!
この写真は3日間お世話になった、熊本支援チームの本拠地で、熊本支援チームの皆さんに振る舞ってくださった、おにぎりとアラ汁を配っているときの写真です。
北海道は僕も縁があります!
今年も8月に札幌へ行く予定です!
札幌へ行った際には必ず縁を紡ぎたいと思います!
そして、2日目。
朝礼に参加して、今日の仕事を教えていただきます。
今日の仕事は、支援物資を仕分け、実際に被災者の方へ物資を届ける仕事です。
慣れない車中泊のせいか、身体中が痛く、寝不足気味で現地へ向かいます。
熊本市は西区にある、物資がまとめて置かれている、これまた広大な敷地です。
ここでは弊社の社員、妃梨(ひな)が以前就職していた会社でとったフォークリフトの免許が活かされます。
ここで物資を仕分けて、被災者の方々へ直接、物資を届けます。
2トントラックを運転し、某介護施設へ物資を届けました。
その介護施設は一見すると、建物が崩れた様子もなく、なんの支援も必要としていなさそうなところなんですが、話を聞くと大変な状況であったことが想像できます。
ここの介護施設は、要介護4〜5の方を預かる施設で、ここで介護を受ける方は、ほとんど自分のことが何1つできない方であふれています。寝たきりの方が多いわけですね。
地震が起こって、何台もある洗濯機が揺らされ、倒れた拍子にホースが全て外れて、水が勢い良く出まくり、下のフロアーは全て水浸し、電気系統は全てストップし、空調もエレベーターもその他電気機器がすべて使えない状態になったそうです。
そこで水も止まり、ただでさえ人が足らない上に、施設の後片付けに追われ、職員の方々はロクに帰ることもできず、物資を調達することもままならない状況でした。
そこに物資を届けに行ったという訳です。
偶然なことに、ここは妃梨が初日に「電話係」で受け付けた施設でした。
ご縁って凄いですね〜
なんて話しながら物資を荷降ろしし、何度も何度も「ありがとう、ありがとう」と頭を下げられながら見送っていただきました。
朝から晩までこんな調子で仕分け作業を行いました。
そして夜は本拠地のビレッジにて、ビレッジの近所にお住まいの市民を100名招いて、BBQを振る舞います!
いつもお騒がせしてスイマセン!でもお互い関わって助け合っていきましょう!
ということを伝えるのが目的です。
その準備にとりかかりました。
僕は牛肉をひたすら焼き続ける担当、妃梨は受付や配膳の担当です。
僕はどちらかと言うと「焼肉奉行」なほうで、いつも肉を焼き続けますが、何百枚という牛肉を焼いたのは初めてです(笑)
ここでは、僕を合わせて3名がひたすら牛肉を焼くわけですが、その「チーム牛(うし)」の中には兵庫からトラックを運転してここにたどり着いた方と、もう一人、中学校2年生の「ともくん」がいました。
ともくんの家は熊本市にあり、地震の被害に合いました。
当然、家の事やライフラインの復旧に追われるのですが、それも落ち着いたので、親子でボランティアに参加したそうです。
お父さん、お母さん、妹、ともくんの4人での参加です。
初めは人見知りがちに接してきた、ともくん。
「よっしゃ!ともくんは塩コショウと焼けた肉を皿に並べる係な!」
「美味しいBBQになるかは、ともくんの味付けにかかってるから任せたで!!」
と、次から次へと金網に乗せられる肉に、塩コショウしていき、焼けた肉から皿へ並べていきます。
「ともくん、自分の味付けした肉食ってみ!もし塩コショウが足らんと思ったら、もっと多く、塩辛いなと思ったら、少なくして塩コショウの量を決めときな!」
ともくんは段々味付けも、盛り付けも上手くなっていくわけです。
また、とても丁寧にお肉を並べるので売れ行きも上々!
中盤からは笑顔が増え、手際も良くなり、会話を交わす余裕まで出てきました。
BBQも一段落し、ともくんのお父さんが話しかけてくださいました。
「明日お帰りですか?もし良かったら、空港まで送らせていただけないでしょうか?」
と言っていただいたのですが、僕たちはレンタカーで来ているので、お断りをすると、
「あんなに活き活きとしている息子を見れて嬉しい、お世話になったので是非送らせていただきたかったのですが・・・。」
とても嬉しい言葉をいただきました。
ともくんの家も被災し、日々の中でストレスをためたり、笑顔も少なくなってきたのでしょう。
こんな少しの関わりが人を元気にできるのだと、改めて人と人との関わりの大切さを感じました。
そして迎えた最後の日。
僕たちは、午前中で仕分けの仕事を切り上げ、次の目的地へと向かいます。
先日開催した、「幸せのきっかけづくり」で皆さんからお預かりしている募金を益城町へ届けるのです。
予め行く予定の「益城町社会福祉協議会」へ電話をかけたのですが、日曜日だからなのか、電話が通じません。
でもとりあえず行くだけ行ってみようと、益城町へ向かいました。
益城町へは、ビレッジから45分くらいの距離なのですが、とても混んでいて1時間以上かかりました。
そこで見たのは、熊本市とは比較にならないくらいの、破壊的状況の町並みでした。
至る所がこんな感じで、壊滅的でした。
まだ手をつけられていない建物があふれかえり、ここにこそボランティアの手がもっともっと必要だということに改めて思い知らされました。
そしてやっとたどり着いた「益城町社会福祉協議会」です。
到着すると、建物の入口は封鎖されていて、入ることができず、西へ回りこむと非常口から入ることができました。
その時お会いした女性職員の方がお一人、深々と頭を下げられ、まだ事務所が片付いていないことを詫びながら、僕達を迎えてくださいました。
聞くと、どうやらまだ電話もとれず、ほとんど機能していない状態だそうで、募金を渡そうとすると、領収書が今書けないので郵送しますと、住所等を求められました。
「いつでも良いですよ」とお伝えし、住所を書いて募金をお渡ししました。
帰り際に、握手をしていただこうと手を差し出して、
「頑張ってください!」
と手をギュッと握ると、
その女性の眼から涙があふれてきて、
「ありがたい言葉です!頑張ります!!」
と強く手を握り返してくださいました。
僕も眼から涙が溢れてきました。
たとえ初めて縁した人であったとしても、心が触れ合えば、僕たちは勇気を与えたり与えられたりするもんだと、そう思えました。
少しの関わりであったとしても、きっと何かの役に立つことが出来るんですね。
この3日間で得たものはとても大きいものでした。
いつも僕は明日死んでも後悔しない生き方を意識していたつもりでした。
が、まだまだ甘いと思えました。
普段使っている時間の使い方をもっと見直して、自分のできる精一杯で社会に貢献しようと深く思い知らされました。
今回、とてもお世話になった、熊本支援チームの皆さん、チームやんじーの皆さん、ボランティアに参加していた皆さん、本当にありがとうございました。
僕たちは僕たちのできることで、被災者の方々の力になるよう動いていきます!!